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情報技術(IT)の仕事に携わるからには,その専門性を活かした社会奉仕ができれば幸いです.以下では,国内外での主としてIT関連の委員会活動を示します.この種の活動は時代を強く反映しますので,あくまでも'80〜'00年代のものであることをご承知おきください.名称はやや堅苦しいものが並びますが,内容はそれほど堅苦しくありません.
国内・中央・ 専門委員: 科学技術会議政策委員会, 1987−1988
科学技術会議は,わが国の科学技術のいわば“総本山”で,科学技術庁(現在の文部科学省)が所管しています.政策委員会では,科学技術の推進について議論しますが,当時機械翻訳など日本語や英語の処理技術の向上が重要な課題の一つでした.
専門委員会では,専門的事項を具体的に議論しますが,電子技術総合研究所や京都大学等が中心になって進めてきた翻訳システムを評価して,それ以降の政策推進のための基礎資料を提供しました.
・ 研究開発評議員: 日本電子化辞書研究所, 1990−1995
先に述べた政策に沿って自然言語処理システムを開発するには,その第一歩として電子化辞書,すなわちコンピュータの中に記憶されプログラムで処理できる辞書を開発する必要があります.当時,“オフィスオートメーション”の名のもとに“ワープロ”が普及し,単語ごとにかな文字を漢字に自動変換する技術などはすでに開発されていました。次のステップにある翻訳プログラムなどでは,単語と単語の関係すなわち文法を処理したり,ある程度文の意味に立ち入って処理したりしなければなりません.意味情報を加味した電子化辞書は,それらの処理に不可欠なのです.
日本電子化辞書研究所は,この国策的プロジェクトの推進役を果たしました.国内の大手計算機メーカーがこぞってこのプロジェクトに参加しました.評議員会では,電子化辞書の形式や内容についてチェックするとともに,専門的見地からの提言を行いました.今日の“パソコン”や携帯電話などの自動翻訳や文法処理の技術は,これらの経験や議論の上にできあがったものです.
・ 企画運営委員: 科学技術国際交流センター, 1992−1993
最先端のAI技術について,主に企業の担当者に対して講演をしました.
・ 作業部会長: 日本学術会議・情報工学研究連絡委員会・知識科学体系化作業部会,
1993−1995
大変長い名称なので,途中区切りを入れないと意味が汲み取れないかもしれません.日本学術会議は,わが国の学術のいわば“総本山”で,先の科学技術会議よりも幅の広い学術を対象にします.所管は文部科学省です.情報工学研究連絡委員会では,当時,情報工学が将来どのような方向に進むのか予測することが一つの大切な課題でした.多くの専門家はコンピュータが次第に知能化する,という点で一致していましたが,詳しいことはわかりません.そこで第15期の情報工学研究連絡委員会が作業部会を設置し,そこに知識科学の体系化とカリキュラムを諮問しました.
わが国屈指の知識科学の研究者が二十数指名を受け,2年間にわたって調査討論を行いました.その結果,いくつかの観点から体系のモデルが提案され,この分野のキーワードを関連付ける詳細なネットワークが構築されました.またそれに沿って大学および大学院でのカリキュラムも提案されました.岡田は,この部会で部会長を務め,全体を統括,推進する役割を果たしました.
・ 専門委員: 日本学術振興会特別研究員等審査会, 1995−1997
この振興会は,その名の通りわが国の学術の振興を推進することを目的にしています.研究者に助成金や奨学金を出したり,会議の開催を支援したりします.毎年大勢の研究者が応募しますが,その書類を審査します.特別研究員審査会は,その中の特別研究員と呼ばれる若手育成の部門を審査するものです.
・ 評議員: 栢森情報科学振興財団, 1996−現在
本財団は,情報科学に関する研究助成を目的とします.1996年に栢森新治氏によって設立された財団で,文部科学省が所管します.わが国のAI研究の生みの親,育ての親ともいえる先人たちが理事会ならび選考委員会に名前を連ねます.
評議会では,個人の研究助成や会議開催に関し選考委員会の報告を得て審議します.評議会はこのような公的な役割のほか,メンバーの方々のサロンとしても機能し,非公式な情報交換も縁の下で財団の運営,さらにはAI研究の推進に役立っています.
・ 専門委員: 学術審議会科学研究費分科会, 1997−1998
文部科学省の科学研究費,いわゆる“科研費”は,わが国の大学や研究機関にとって大変重要な助成金です.とりわけ国立大学では,科研費をどれほど獲得できるか、ということが大学の研究活動を資金面で大きく左右します.研究助成は種々の学問分野にわたり,その額も数十万円から数億円といろいろです.
毎年大勢の研究者が全国から応募しますが,科学研究費分科会は分野に応じてこれらを審査します。情報科学分野の審査員としてお手伝いしましたが,短い期間に多数の応募書類に目を通し,厳正な評価をしなければなりません.審査する側も,応募する側に負けず劣らず大変な作業です.
・ 分野別専門員: 佐賀県学術研究プロジェクト実現化推進連絡会議, 1995−1996
地方でも科学技術を通じて活性化を図ろうと工夫しています.しかし行政の側に当該分野を熟知した人材の不足しているのが悩みです.そのため外部から専門員を招き,標記のような会議に諮問します.連絡会議では,主に佐賀大学の専門員の方々と一緒に,佐賀県でどのような研究プロジェクトが実用化に結びつくか議論しました。
・ 座長: 飯塚市新映像都市構想研究会, 1997−1998
福岡県飯塚市は,かっては炭鉱で繁栄しました.その後これといった産業も育たず,活性化を模索していました.そこへ九州工業大学の情報工学部が新設され,市は情報産業の育成に大いに期待しました.その一環として市は,映画やアニメなどのメディア産業に目を向けました.
研究会には,大学の研究者、映画監督,TV関係の識者などが参加しました.映画産業の育成やコンピュータグラフィックス(CG)によるメディアコンテンツの開発などが具体的に議論されました.しかし議論が深まるにつれ,次第に議論の方向と行政の期待との間にズレが生じてしまいました.そのため議論の成果が十分行政に反映されない,残念な結果に終わりました.このような研究会のあり方は,しっかりした目的と枠組みを定めた上で設置しなければならないことを,行政側にも委員側にも教訓として残しました.
・ 研究費審査員: オーストラリア学術会議研究費委員会,オーストラリア, 1989-
わが国の電子通信の分野で“老舗”ともいえる学会は電子情報通信学会です.そこの専門委員長を務めている頃,オーストラリアとの間で自然言語処理の国際会議を企画しました.そのことがきっかけとなって,メルボルン大学を始めその他の大学との交流が始まりました.多分,それらが背景となって学術会議から研究助成金の審査を依頼されることになったたようです.
・ 研究費審査員: 人間フロンテイア科学プログラム機構, スイス(事務局), 1993
少しわかりにくいプログラムですが,国際的な協力によって人間の生命機構を解明し人間社会に役立てることを目的としています.特に若手の育成と複数の学問分野にまたがる,学際的研究の促進を重要視しています.評議会は,経済サミット国,スイス,それにヨーロッパ連合(EU)国のメンバーで構成されています.
EU諸国では多くの言語が使われています.そのためヨーロッパでは実用化を目指す自動翻訳研究が盛んです。因みにEUの事務部門では,公式文書を多くの国の言語に翻訳しなければならず、自動翻訳システムが稼動しています.日本では,言葉の意味を取り扱う研究が盛んですが,その方面のプログラムに関し審査のお手伝いをしました.
・ 任期・昇格審査員: サイモンフレーザ大学, カナダ, 1995
日本では,大学教員の任期制が議論されていますが,今のところ全面的にそれに移行したという話は聞きません.カナダでは任期が定められており,一定の期間ごとに審査を受けなければなりません.そのことと,助手から助教授へあるいは助教授から教授への昇格とを合わせて審査する委員会があります.
その頃,PACLINGという国際会議をカナダの太平洋岸の友人達と協力して立ち上げていました.多分そのような背景で,サイモンフレーザー大学の審査員を依頼されたものと思います.人事というのは,その人の将来を決定するものですから,種々のマネージメントの中でも細心の注意を要します.
・ 任期・昇格審査員: ダルハウジ大学, カナダ, 2006
余談になりますが,カナダ中央部のサスカチワン州にあるルジャイナ大学と九州工大との姉妹校協定の締結,そして今回太西洋岸にあるダルハウジ大学の審査と,次第に東に向けてカナダの大学と交流を深めています.
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